デニオ・マリアーノ・ゴンザレス・マンズエタ(Denio Mariano "Denny" Gonzalez Manzueta 、1963年7月22日 - )は、ドミニカ共和国モンテ・プラタ州サバナ・グランデ・デ・ボヤ出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
ゴンちゃんの愛称で親しまれた。中華職業棒球聯盟での登録名は、丹尼歐。
経歴
高校卒業後、1981年にピッツバーグ・パイレーツに入団。
1984年にメジャーデビューし、AAA級ハワイ・アイランダーズとの行き来が数年間続く。
1988年オフにジェイ・ベルとのトレードで、クリーブランド・インディアンスにフェリックス・ファーミンとともに移籍した。
1991年はAAA級ナッシュビル・サウンズで打率.296の成績を収め、7月22日にヘクター・デラクルーズに代わる外国人野手を探していた読売ジャイアンツに年俸5万ドル(推定)で入団した。7月29日のデビュー戦では自身初の1番打者として起用され、2安打を放っている。40試合で9本塁打、27打点の成績で年俸15万ドル(推定)で翌年の契約を結んでいる。
1992年はキャンプで順調な打撃の仕上がりを見せ、開幕戦でもスタメンで出場し安打も記録したが、外野守備を不安視されていた。開幕直後に巨人がロイド・モスビーを獲得したため、4月9日に契約を解除されウェーバー公示された。
1992年の解雇の経緯について、当時の監督の藤田元司によると、ゴンザレスには期待していたが、キャンプ・オープン戦とも調子が悪く打てない守れない状態だった。本人には気の毒だったが、チーム事情から解雇せざるをえなかったとのことである。
その後はメキシカンリーグでプレーし、1996年には台湾の時報イーグルスに入団して主砲として活躍したが、1年限りで退団した。その後、1998年まで再びメキシカンリーグでプレーした。
現役引退後は、2013年3月に開催された第3回WBCと、2017年3月に開催された第4回WBCにおいて、ドミニカ共和国代表のコーチを務めた。
詳細情報
年度別打撃成績
NPB初記録
- 初出場:1991年7月29日、対ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場) 1番・三塁手で先発出場
- 初安打:同上、1回に尾花高夫から単打
- 初打点:1991年7月31日、対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)、湯舟敏郎から適時打
- 初本塁打:1991年8月3日、対広島東洋カープ戦(広島市民球場)、 5回に紀藤真琴から2ラン
背番号
- 28(1984年、1987年)
- 24(1985年)
- 3(1988年)
- 15(1989年)
- 49(1991年 - 1992年)
- 30(1996年)
コーチ歴
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表
- 2017 ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表
脚注
関連項目
- ドミニカ共和国出身のメジャーリーグ選手一覧
- 中南米出身の日本プロ野球外国人選手一覧#ドミニカ共和国
- 読売ジャイアンツの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 デニー・ゴンザレス - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 中華職業棒球大聯盟(丹尼歐)




