駅路寺(えきろじ)は、慶長3年(1598年)に定められた徳島藩の制度。蜂須賀家政は藩内主街道(阿波五街道)に沿った真言宗八ヶ寺に寺領10石を与え、往還する旅人に便宜を図るよう命じた。八ヶ寺は全て山号を駅路山とされ、総称して駅路寺という。これらの寺院は旅人の宿泊のほかに、治安維持、災害時の避難場所などにも利用する事を想定したものとされる。

寺院一覧

脚注

参考文献

  • 三好昭一郎「徳島藩駅路寺制の展開 : 領主による寺院利用の一事例」『地方史研究』第253巻、地方史研究協議会、1995年2月、1-18頁、ISSN 05777542。 
  • 衣川仁「徳島藩駅路寺制に関する一考察」(PDF)『徳島大学総合科学部人間社会文化研究』第16巻、徳島大学総合科学部人間社会文化研究編集委員会、2009年、95-109頁、ISSN 09199411。 

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