青木 定謙(あおき さだかね、安政3年8月4日(1856年9月2日) - 昭和5年〈1930年〉4月10日)は、内務官僚、札幌区長。

経歴

秋田市出身。1875年(明治8年)に小学校教員となり、その後仙北郡書記、山形県警部、秋田県警部、秋田県属を歴任した。1890年(明治23年)、秋田県参事官に任じられ、高知県参事官、島根県警部長、和歌山県警部長、新潟県警部長、広島県警部長、広島県事務官・第四部長を歴任した。

1906年(明治39年)、札幌区長に選出され、1912年(大正元年)まで在任した。

1922年(大正11年)より義勇財団海防義会の理事を務めた。

親族

  • 青木戒三 - 長男。朝鮮総督府官僚。
  • 青木得三 - 二男。大蔵官僚・経済学者。

参考文献

  • 故正五位勲四等青木定謙位階追陞ノ件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)

「参院のドン」青木氏75歳の出陣式 「先頭に立つ」(10/01/31) YouTube

青木

日刊木材新聞 買方の団結を呼掛け…買方組合総会

青木先生简介 株式会社 青木商务企画中心

創業期からつづく青木からの初任給の手渡し 人材教育コンサルティングのアチーブメント株式会社